前回の 大文字山の地学を学ぶ でも少し触れましたが、京都御苑の石垣には、大文字山の花崗岩が使われています。
大文字山の花崗岩とは、正確には比叡山から大文字山の間で産出する白川花崗岩の事を言います。
この花崗岩には副成分として褐簾石(カツレンセキ)を含んでいます。
褐簾石を含むというのは大文字山の花崗岩の特色で、他の地方で産出された花崗岩に褐簾石は含ませていません。
また現在、石材として使われている花崗岩のほとんどは中国からの輸入に頼っています。
中国産の花崗岩にも褐簾石は含ませていません。
京都御苑の石垣から褐簾石を見つける事が出来れば、その石は中国産でなく、大文字山産の花崗岩が使われている事が証明できます。
そんな事しなくても大文字山の花崗岩が使われていることは歴史の事実なのですが、大文字山の地学を少しかじり、地質学者の気分になった私は、自分の目で確かめてみたいと思い、そうしなければ気が済まなくなってしまったのです。
京都御苑の石垣の成り立ち
京都御苑がある場所は、江戸時代には皇居があり、公家屋敷が立ち並んでいました。
明治になって、明治天皇と共に多くの公家が東京に移り、荒廃が進みました。
それを憂えた明治天皇のお声で、明治10年から空き家を撤去して京都御苑として整備しました。
そして、石垣に大文字山の花崗岩が使われたのです。
褐簾石探し開始
ここが我が家から一番近い場所なので、とりあえず、この辺りの石垣を手当たり次第に見ていきましょう。
石垣に近付いてみると、確かに花崗岩なのですが、風化が進んでいて石の表面が見難いです。
そりゃあ、100年以上の年月を経ている訳ですから風化していて当然ですね。
近付いてみても、分かり難いです。
分かり難いながらも、少しは石の表面が見える部分があるので、そういう部分を逃さずに調べていきます。
なかなか見つかりません。
ここの石垣は南側にあり、直射日光を浴びているので風化が進んでいるのではないでしょうか。
風化が進むと石の表面が判別し難いです。
ひょっとすると、北側の石垣なら、直射日光を浴びることは無いので、その分だけ風化が進んでないかもしれません。
しかし北側まで移動しようと思えば2kmは歩かなければいけません。
移動するにも時間と労力が必要です。
やはり、その時間と労力を、この場で褐簾石を探す事に費やします。
堺町御門
スタート地点から、しらみつぶしに石を観察しながら100m程西に移動した所です。
このように書かれています。
「長州藩兵は京都から追放され」と書かれていますが、この事件は8月18日の政変と言い、長州征伐とは、また違います。
おっと話が脱線しましたね。
私がドクダミ畑と呼んでいる所です。
ドクダミの料理法については ドクダミ料理に挑戦! をご覧ください。
おっと、また脱線してしまいました。
堺町御門から、さらに20m程西に来た所。
お!?
褐簾石だ!!
やったー!!
探し始めておよそ30分で見つかりました。
という訳で、めでたく京都御苑の石垣から褐簾石を見つける事が出来ました。
おまけ 京都地方裁判所の石垣から褐簾石を探す
しかし、おそらくこれは中国から輸入された花崗岩でしょう。
やはり、歴史的建造物と現代の建築物では、使われている石材から違うのですね。
石の重みが違います。
いや、物理的な重さじゃなくて、歴史的な重さの事ですよ。
石を理解する事により、歴史的建造物の価値を再認識したのでありました。